【1】女子中学生とは仮の姿!

 寝返りを打った瞬間、アスファルトに撫で付けられて砂がじゃりじゃりと音を立てる。その感触で素子は目を覚ました。
「あら……私、どうしたのかしら……?」
「素子先輩っ、大丈夫ですか!?」
 南の顔が日の光を遮る。ようやく素子は自分が地べたに寝転んでいることに気づいた。
「私、どうして……いやあああ!髪が土まみれ!」
「あたしも何がなんだか!あーっ、モヤモヤする!イライラするううう!」
「二人とも、貧血で倒れてたんだよ」
 素子に手を差し出したのはユウギだった。素子は素直にその手を取って立ち上がる。
「すみません、私、転入したてで保健室の場所が分からないんです。送っていくので、道案内だけしてもらえますか?」
 いびりじみた真似をしたというのに、ユウギは本当に二人を心配しているようだった。何だか気分が……とでも言えば、迷いなく救急車を呼びそうだ。
「い、いえ大丈夫です。何ともありませんし!至って健康です!」
「そっ、そうよ!ただちょ〜っと体があちこち痛いけど……」
「そうですね、私は特に後頭部が……」
「やっぱりどこか悪いんじゃないですか!?」
「「いやいやいやいや!地面に寝てたからだっつーの!」」
 素子と南は慌て、健康だと念を押して主張してから逃げるように退散した。何より罪悪感に胸を潰されそうだった。

 事件の前後の記憶が曖昧なようで、二人は首をかしげながら校舎へと戻っていった。二人の無事を確認したユウギは安堵の溜息をつく。
「良かった、倒せば元に戻るんだ。
 本当は本部とかでチェックしてもらったほうがいいんだろうな。後遺症とか、ないといいけど……」
 そういえば、後で本部に悪魔との接触を報告しなければならない。
 苦い顔をして、ユウギは更に脱力した。正式にエンジェルになったため、ナイトメアとの戦闘報告書を提出する約束になっている。
「でも、困ったな。また頭に血が上ってたよ」
 報告義務を課せられたときから、ユウギには一つの不安があった。
「どーやって倒したんだっけ……? そもそも勝った、んだよね?あの二人も私も無事だし……あれ?」
 前回に同じく、悪魔を倒すまでの記憶がすっかり抜け落ちているのである。これではまるでさっきのプリ・テニの二人と同じだ。
 戦闘時の一時的な記憶の喪失。集中し過ぎて記憶が曖昧になるにも限度がある。  それが己の存在を揺るがす程の重大なものだとは、この時ユウギは夢にも思わなかった。



 翌日、HR前の教室で一番最初にユウギと目が合ったのは、昨日戦いに巻き込まれたクラスメイト、木之下南だった。
「おはよう、南さん」
 南は無言でずんずんと勇ましくユウギに歩み寄る。そしてポケットから取り出した何かをユウギの目前に封筒を突きつけた。学校の近くにあるハンバーガーを扱うファーストフード店の商品券だった。
「あたしと素子先輩の連名で、一応ねっ。これで貸し借りはなしだから」
「気にしなくて良かったのに。でも、ありがとう。ハンバーガー、大好きなんだ」
 これは本当だ。自己紹介の時に言った好物の話について覚えていてくれたのかもしれない。ユウギは自然と笑顔になった。
「皆川先輩にもお礼を言えたらいいんだけど……」
「お礼のお礼してどうすんのよ。堂々巡りじゃない。
 ……そうね!ま、どーしてもっていうなら、プリ・テニに入れてもらえるように頼んであげてもいいけど?」
「それはいらない」
 ユウギが殊勝な態度を取っているのを仲間に入りたいのだと早とちりしたらしい。ユウギは本気で入りたくなかったので、簡潔にお断りした。
 南は居心地の悪さを誤魔化すようにユウギの頬を引っ張った。
「何よー、せっかく誘ってやったのにーっ!!」
「いたいいたいいたい」
「おや、武藤さん。木之下さんと仲が良いんですね。もうお友達になったんですか?」
「やだぁ、先生〜。そんなんじゃな〜いですよぉ〜」
 糸色を見るなり態度を変えて、南は甘い声を出した。イケメンにマジに夢中になれる年頃なのだろう。
「友達……」
 ユウギには自信を持って友人と呼べる存在はいない。いつも仲良くなれたと思っても、突然距離を置かれてしまうのだ。
 貧乏な家庭をネタにからからかわれてきたユウギは気弱でネガティブな性格である。童顔である上、服や持ち物にお金がかけられていない分、さらに見劣って見える。本人はそれが主な原因だと感じている。
 こんなウジウジした人間とわざわざ仲良くしてくれる人間はそういないだろうとユウギは本気で思っていた。
 この学校で生徒と堂々と普通に渡り合えているのは彼らが年下だからという安心感があることが大きかった。そしてジャーキーへ恩を返したい、これは任務で自分に課せられた使命だから果たさなければならないという義務感がユウギを動かしているのだ。
 もしユウギがある日突然、ごく普通の一般家庭の別の人間として高校に通うにことになっただけだったとしたら?きっと今までと同じ『友達ができそうのないダサイ生徒』になっているだろう。同じ潜入任務でも、高校や大学が対象だったら、上手くやっていく自信はない。
(杏子、元気かな?)
 ユウギはアメリカに留学した幼馴染を思い浮かべた。
 真崎杏子。彼女だけは特別だった。いじめっこから庇ってくれたのはいつも彼女だったし、美人でプロポーション抜群。明るくて友人も多い。ユウギの憧れだった。ただし、彼女は友人というよりは幼馴染。そして幼馴染というよりは頼れる姉だったが。
 糸色との話が終わった南は、俯くユウギを小突いた。
「……ありがと」
 ユウギは目を見開いた。顔を上げたとき、彼女は何だか納得のいかないような顔をしていた。
「よく分かんないけど……言っておかなきゃいけない気がしたの。
 でも!今度リョーマ君をたぶらかしたら、絶対許さないわよ!?」
「あ、リョーマくん」
「嘘!?」
 ユウギの指差す先に居たのはリョーマと同じくらいの背丈の男子。しかし明らかに別人だった。
「ごめん、間違えた」
「オイイイ進藤なんかとリョーマくんを見間違えるなんて何考えてんじゃあ!?」
「えっ、なんかごめん」
「はあ!?木之下、そりゃねーだろ!」
「じゃかぁしいわい!弱小囲碁部の分際で!」
「お前なんてただのテニス部のおっかけだろーが!」
「ぬわんですってェ!?
 いい、武藤さん!?大体、リョーマくんと進藤じゃあ天と地ほどのねぇ……」
「なんだとーっ!」
 クラスメイトの可愛い口喧嘩を見て、ユウギは軽やかに笑った。



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